2014년 1월 22일 수요일

すったもんだがありました

『教養学部報』1994年12月号 新任教員の自己紹介欄より

 どう見ても学生にしか見えないこともあって、人に会うたびに、「お若いのにもう助教授ですか」などとお世辞を言われる。確かに人より幸運だった面はあるが、自分ではちっとも順調じゃなかったという想いがあるので、どうも居心地が悪くなってしまう。「おまえでも東大の先生になれるんか」と悪態をついてくれる友人の方がよっぽど気が楽だ。
 
 真剣に大学院進学を考えたのは文Ⅱから教養学科の相関社会科学に進学した頃だったろうか。周りには優秀な学生が多く、「こんなんではついていけへん、自分でもっと勉強せな」と思っているうちに、授業に出れなくなってしまい、狭い下宿に籠もって悶々としていた。はたちを過ぎて恥ずかしいが、立派な不登校である。

 そんな調子で三、四年を過ごしてしまったので、まさか通るまいと思っていた院試に通ってしまったときも、ちっとも嬉しくなかった。とにかく先が思いやられたのだ。案の定、体調の方はいっこうに恢復せず、私は毎週保健センターでカウンセリングを受け、精神安定剤やら抗鬱剤やらを処方してもらいながら修士論文を書いていた。というわけで私の修論は、ドーピング検査があれば落とされていたはずである(?)

 一息ついたのは博士の一、二年の頃だろうか。自分の作業が外の世界に出るようになり、少しずつ自信を取り戻した。もちろんそれは薬漬けの修論が特別優れていたからではない。「王選手にあこがれていても仕方がない。七番打者でいいから一軍に残れるようにがんばろう。」自分を甘やかさずに許す、ということが少しわかった頃だったと思う。
 
 苦労はこれで終わりかと思ったら世の中そんなに甘くはなかった。私はその後就職の人事に落ち続ける。二〇カ所以上は落とされた。悪いことは重なるもので、何かと面倒をみてくださった指導教官が亡くなり、私をフェミニズムに導いてくれた女性とも別れてしまう。まさにすったもんだである。オーバードクターの二年間、学生でいることが嫌で嫌で、とにかく早く駒場を出たかった。

 どこか名も知れぬ大学で学生さん相手に「漫才」をやるのが自分の描いた将来像だった。専門学校で長い間講師をしたので、どんな大学でもウケる自信はあった。結局駒場で十一年過ごし、ようやく縁切りだと北大に就職したのが、一年半前。ところが大好きな札幌には一年しか居られず、あっという間にこともあろうに駒場に戻ってしまった。

 「すったもんだ」の末、大変なことになったものだ。思わず缶コーヒーを飲みながら「まいったなぁ」と言いたくなる。まぁでも東大には教授・助教授だけで二千人もいるのだ。一人くらい私のようなハズレがいても不思議はない。学生さんに遊び相手をしてもらいながら、ゆっくり研究を続けていきたいと思っている。
 
 どうかよろしくお願いします。

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